まどみちおさんと、涙と、虹

昨日の夜中、テレビを見るともなく見ていて、何とはなしに同居彼氏がチャンネルを変えたら、NHKスペシャル「ふしぎがり~まど・みちお 百歳の詩~」の再放送がちょうど、はじまったところだった。
わたしは詩を書くし、まどさんの詩に親しみがあるので、こりゃラッキーとテレビを見つめた。

まどさんは、遊園地がみえる大きな病院に入院していて、一度は具合わるくなったけど、だいぶ元気になったそうだ。
散歩をかかさず、イヤフォンみたいな補聴器で耳をすまして、あらゆるできごとに目をきらきらさせていた。帰ればノートに詩のたまごのメモをたくさん書きつけ、机にむかってカラフルな絵を描く。

ときどきの三國連太郎さんによる朗読、あたりまえだけどじょうずで、言葉がすっとはいってくる。

 れんしゅう  まどみちお

 きょうも死を見送っている
 生まれては立ち去っていく今日の死を
 自転公転をつづけるこの地球上の
 すべての生き物が 生まれたばかりの
 今日の死を毎日見送りつづけている

 なぜなのだろう
 「今日」の「死」という
 とりかえしのつかない大事がまるで
 なんでもない「当たり前事」のように毎日
 毎日くりかえされるのは つまりそれは

 ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
 あわてふためかないようにと あの
 やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
 くださっているのだと気づかぬバカは
 まあ この世にはいないだろうということか

ガンで先立った息子さんのことを話しながら、ティッシュで目と鼻を押さえて、
そのとき、10ページ書いたというノートがうつる。
「ゴメン」がいっぱいならんでいた。

「人間は『命』って『言葉』に救われています」
「『命』って『言葉』があるおかげで涙を出すことが出来ます」

わたしはまだ若いから歳をとっても感情がこんなにいっぱいあるってことをわすれてしまう。

去年の秋、認知症で、もうあんまりしゃべれないうちのばあちゃんに、ばあちゃんが大好きなネコのぬいぐるみをプレゼントした。手で抱えられるように置いたら
「抱っこした!」
と、はっきり言ったのを思い出した。感情が、あるんだ。

正直、歳をある程度とって亡くなるのは、『大往生』と言うくらいだしそんなにかなしくないと思っていた。けど、まどさんのあの、ぜんぶ詩みたいに話すところとか、奥さんに会えてうれしくって泣き出しちゃうところとか、涙を出すとぼくには見えないんだけど、虹ができるんだ、とか、子どもたちからうれしそうに何かうけとるところとか、池の波紋の美しさに目を見開いた顔とか見たら、なんだかめっちゃかなしくなって、「リスペクト!」とか「エモい!」とか、そういう言葉を連発して泣きそうになるのをがまんした。
けど、泣いた。余韻がのこった。

朝、目が覚めて、さいしょにまどさんのことを考えたから、わたしは夜みる夢をわすれてしまうんだけど、まどさんの夢をみたんだと思う。いっしょに虹をみる夢をみたんだと思う。

まどさん、天国で、けしゴムやぞうさんややぎさんといっぱいあそんでね!