日本の近代管弦楽の重鎮・伊福部昭の『日本狂詩曲』

レコード担当です。
今日は、伊福部昭(いふくべ あきら)という作曲家が書いた『日本狂詩曲』という作品について簡単に書いてみたいと思います。

伊福部氏は、1914年、北海道釧路町(現在の釧路市)に生まれました。12歳時より独学でヴァイオリンと作曲を始め、18歳にして文武会管弦楽部のコンサートマスターをつとめるまでになりした。
1935年、伊福部氏はまだ21歳。北海道厚岸町で林業をするかたわら、『日本狂詩曲』というオーケストラ作品を書き上げ、当時パリで開催された「アレクサンドル・チェレプニン賞」という、日本人向けの作曲コンクールに応募しました。
コンクールの応募作品は、まず東京に集められ、それからパリへと送られることになっていたのですが、東京の音楽関係者は、伊福部氏の『日本狂詩曲』の楽譜を見て、打楽器が9人もいることや、既存の概念に縛られない自在な書法、しかも北海道の厚岸町という地方からその応募があったということで、相当面食らい、これはパリに送るのをやめようという意見が出たのですが、審査をするのはパリの人々であり、応募規定も満たしている、それにせっかく送ってくれたのだから、ということで、『日本狂詩曲』は無事パリへと送られることになりました。

さて、そのコンクールの結果ですが、結局、『日本狂詩曲』が第1位を獲得し、伊福部氏は電撃的に楽壇に躍り出ることになりました。
ですが、それが発表された時、日本の音楽関係者は、「結果は虚偽ではないのか」という電報をパリまで送る始末。「北海道の厚岸町に、オーケストラを書ける作曲家がいるはずがない」、というのです。
しかし、海外では熱烈に受け入れられ、ジャン・シベリウスがラジオで聴いて絶賛したり、翌年出版された楽譜を「ボレロ」で有名なモーリス・ラヴェルらが買い求めたりしました。

『日本狂詩曲』は、現行版では、「夜曲」「祭」の2曲からなります。どちらも、独学で書いたとか、21歳で書いた初めてのオーケストラ作品だとか、全く思えない、見事すぎる出来栄えで、特に「祭」は、お祭りが好きな人ならきっと血が騒ぐほど興奮することでしょう。